お墓参りの日はこだわらなくていいのでは

うちは先祖代々の墓にお彼岸の時、掃除をして水をかけ、お花を供えて線香を立て手を合わせに行きます。
先祖代々というあたりが儒教的であり先祖教で仏教的かどうかはわかりません。
土地の狭い日本だから個人の墓が作れないという事情もあります。
先祖に手を合わせる意味は、仏壇に手を合わせるのと似た習慣かと思いますが、核家族の今の家には仏壇がないので、お盆はしません。
本当はお盆に亡くなった霊が戻ってくると言いますが、一等親の親が健在なので、行っていません。
祖父母の墓へは、行けるときにいくというやり方です。
親にとっては自分の親や姉妹の墓へはお盆の時期にいってお墓参りをしているようです。
本来、見えない魂や霊に対してできることは何かというと、残された人が故人を偲んで思い出すこともいいと思いますし、残された者が一生懸命生きることなど、故人の喜ぶことを実行することが何よりの供養になると思います。
お墓参りでメソメソ泣いたり、お願い事をしたりというのは、本当はしてはいけないことかもしれません。
亡くなった人に感謝し、今を感謝し、見守っていてくれることだけを願うべきかもしれません。
地方にいくと、田んぼの真ん中の一角にかたまって墓があったりします。
都会はどこにでも墓があるとまずいので、霊園だったり墓地だったり寺だったりに集められていますが、本来農耕民族の日本人にとって、墓は身近なものだったのかもしれません。
よく考えてみると、仏教が大陸から伝わってきたのは6世紀で、仏教と関係なくそれまでも人は死に、埋葬されてきたのです。
手を合わせるタイミングは決まった日でなくてもいいように思います。
そもそも死に対する考え方は国によっても宗教によっても土地によっても異なるようです。
日本でも、葬儀の後、仏教では7日ごとの法要があって、その間家に骨はおきますがその後四十九日の法要で納骨をします。
近親者の命日には坊さんが仏壇にお経をあげてくれたり、墓参りにいったりします。
死後何度も法要をして、死者を弔いますが、これは仏教的解釈によって行われます。
死は肉体と魂とが分離する現象です。
肉体から離れた魂は、自分の肉体が死んだという事実をわからないで、成仏できずにいるので、お経をあげることによって、あなたは死んだのだという引導をわたす行為にあるといわれています。
いかにも仏教的な考え方です。
仏教では三回忌や七回忌などの法要を盛大に行ったりしますが、そういうことのようです。
感じる人にとっては魂や霊の存在や霊から受けるものは感じるものなのだそうですが、こればかりは私にはわかりません。
でも、近親者の霊なら見えなくても歓迎です。
沖縄の宗教はわかりませんが、死後に住む家の考え方があるようで、家の形をした墓におさめ墓参りの時は家族が集まってそこでお弁当を広げたりして楽しくワイワイやるようなことを聞きました。
神道ではやり方が違い、三回忌や七回忌などではないタイミングで行うようで、弔い方も異なります。
もちろん、キリスト教の考え方もまた異なり、死後の考え方も当然異なります。
そもそもキリスト教には家という単位がないので、墓も一人一人のものが多く、ある一定年月が経過したら、埋葬した場所さえ更地になり、別の人の埋葬に使われる国もあるようです。

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