我が家の菩提寺にあるお墓と法要について思うこと

菩提寺に一家の墓があるということは、東京近郊に住む人達にとってはある種ステータスのようなものになっているように思います。
土地不足からお墓を購入するのは難しくなっていますし、金額もそれなりの大きなものが必要です。
幸いにも私の家では、父が生前に購入したものが神奈川県の川崎市にあります。
25年ほど前に購入したその墓には、今では私の父、母、姉の三人が納められています。
菩提寺のある町は、閑静な住宅地です。
寺の敷地には四季折々の花が咲き、本堂の横には大きな杉の木が立っています。
いつ墓参に出かけても墓には線香が手向けられたあとがあり、ご住職が毎日丁寧に供養してくれていることが分かります。
22年前に母が亡くなりましたときは、まだ健在の父が喪主を努め通夜から葬儀を行いました。
私は嫁いでおりましたので近親者とは言え、やや客観的な立場で母の葬儀に出席いたしました。
人が亡くなった時には、その人の魂が寂しくないようにと家族が寝ずに通夜をするのがしきたりだということです。
私は、仮通夜の間母の横に座り今までの楽しかった思い出を思いだしておりました。
親族が集まるとバタバタとしてゆっくり母とお別れをすることは出来ません。
葬儀のセレモニーとは親族が悲しむ時間を与えてくれないものだなと、その時初めて実感を致しました。
葬儀は自宅近くのセレモニーセンターをお借りして行うことにしました。
センターが手配するという僧侶をお断りして、菩提寺からご住職に来て頂くことに致しました。
父が墓を購入したた時の契約書に、ご住職に葬儀を行ってもらうことが条件となっていたからです。
通夜も葬儀も無事に執り行うことが出来ると、私たち家族にとってはやっと一息つける時間が来ました。
残る法要は、四十九日の納骨式です。
それについては日程だけをご住職と相談して決め、細かなことはあとでゆっくり家族で考えようと思いました。
私の菩提寺の宗派は真言宗です。
私も父も姉も特に真言宗を信じる宗徒というわけではありません。
たまたま父が購入したお墓の寺の宗派が真言宗であったということです。
ですが、日本人の仏教に対する信仰はどの宗派でもさほど変わりはないように思います。
亡くなった人の魂が穏やかに成仏出来るように願うのは、どの宗派でも変わりがないと思うからです。
真言宗だけでなくどの仏教でも、亡くなる人の魂は無になるのではなく永遠に生きているものと考えます。
葬儀、納骨式など亡くなったその年の儀式だけでなく、毎日、毎年の供養を続けることが大切とされています。
四十九日の法要が終わってからの供養を追善供養といい、翌年には一周忌法要、その翌年には三回忌法要、七回忌、十三回忌、十七回忌、次には二十三回忌と二十七回忌ですが、真言宗の場合は中をとって二十五回忌法要を行うのが真言宗では通例になっていると聞きました。
法要の仕方や規模は、各家庭での事情に合わせて行えば良いと私は思っていますので、我が家の場合はささやかではありますが気持ちを込めた法要を続けて行こうと思っています。
菩提寺では、卒塔婆供養の案内が毎年夏を前にして届きます。
卒塔婆というのは亡くなった人へのお手紙のようなものですと、ご住職から聞いたことがあります。
毎年、父、母、姉に手紙を書くように卒塔婆供養を致します。

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